家族という小さな社会についての話
どうも朋也です。
家族と仲が良くない。別に家族なんだからって仲良くしなくてもいいだろ?
自分と合わない人間と仲良くなんかしなくていい。
逆に家族なんだから仲良くしないとだめだ!心の底から信頼できるのは家族だけ!
最後に頼れるのは血のつながった家族だけなんだぞ?
家族について正解はないと思います。上にあるようなよく聞く言葉だって、誰かにとっては正解で、また、誰かにとっては不正解なんです。
なので僕はまた違う切り口で僕の思う家族との付き合い方について話をしていきたいと思います。
家族、
それは小さな社会だと僕の友達は言っていました。
その話を聞いて僕は確かにそうだなと思いました。
血がつながっているといっても、自分ではない他人。
自分ではないから、どんなことを考えているかもわからない。
自分ではないから、自分が望むようには動いてくれない。
家族。なんていったてそれは大きな社会の枠組みの一つでしかないんだと僕は思いました。
それが、家族は小さな社会ってことだと友達の話を聞いて思ったことです。
友達がこんなことを言い出したのは、家族に対してうまくコミュニケーションをとれずに反発している友達の友達に対して、「家族とすらうまく付き合えないのに、それが社会に出て通用すんのかよ?」
ということを思ったからだそうです。
人はさまざまで、事情も違うし一概には言えないけど確かにそういう見方もあると僕は思いました。
僕は、
僕の家族に対して、というより人に対しての見方として、様々な肩書、役割を持ってはいても人間だ。と思っています。
例えば、親は子供を産んで親という肩書を持ったけれど、それ以前にその人個人であります。
つまり、親である以前に一人の人間ってことですね。
子供は親に期待するし、親はそれに応える。
でもそれがうまくできない親もいると思うのです。
僕の父親がそうです。
家にいるときの父親としての姿と外に出たときの姿。それは違うものでした。
僕がもっと子供のころは、家ではすぐ怒るし、こえーな。って感じだったんですけど、外では人当りもよく、ノリもよくみんなに慕われていました。
中と外のギャップにその時は子供ながらに戸惑っていました。
それでも僕は子供であろうとしていました。
我ながらそういう演技というか気持ちの切り替えは得意でしたからね。
でも、父親は外で見せるような感じではなく、何ともいえない距離感を感じていました。
今になって思うのですが、
父親は単純に子供に、家族に対する付き合い方がわからなくて向こうもどうしたらいいのかわからなかったのではないのか?
と思うようになりました。
そんな風に思ってからは、なんだか家でどうふるまっていけばいいかわからないという風な父親をなんだかほほえましいような感じで見れるようになりました。
なんだ、ただ不器用な人なんだ。ってね。
確かに友達のもそういう人っているよね。そういう人が親という肩書を持っているだけなんだと。
勝手なイメージでモノを語るのではなく、その人をしっかりと見てあげることが大切だと思います。
たとえ自分が思っていたような人じゃなかったとしても、自分としては不器用な人だな。と思っていれば自然と対応できるってもんですよ。
その人を理解した気になれば怒りとかそういう感情ではなく、どうやって付き合っていくかっていう次のステップに進めるのではないかなと思います。
最後に
最初に言っていたように、人と人の付き合い方に正解はないと思います。
だからこそ楽しいし、ドキドキもあります。
友達が言っていたように、家族とうまく付き合うことができないやつは社会に出てもできないだろ!というのはいささか早とちりであるかなと思います。
実際、うまくいっていなくても社会で生きている人もいますしね。
ほんと正解がないって楽しいし、難しいですね。
どんなに考えてもあってるかわからない。
だから試行錯誤して考えてやる。
そういうことをしていくのも楽しい人生を送る一つのスパイスなんじゃないかなって思いました。
あくまで、これは僕個人の話です。
人は似ているようで自分とはちょっと違う考えをもっているもんです。
どうせならその違いを楽しんじゃいましょう!
そんな感じです。
それではまた!