文章って一期一会だと思った話
どうも朋也です。
突然ですが、今こうして文章を書いているわけですが、この文章はおそらくもう二度と会えない文章なんだと思います。
今ソファに座りながら一日の終わりの夜に書いています。
書いている内容とは違うけど、今日一日という日を一番覚えている僕が書いているわけです。
多分明日の僕が、今と同じお題で記事を書いたら、書き出しから、言葉選びから変わってくると思います。
今書いている、文章を全部消して、もう一回初めから書けと言われたら、多分かけないです。
構成も何も考えず、浮かんできたことを書いていますから、同じものは書けないでしょう。
再現できたとしても、その時の文章と、もう一度書いているときの文章とでは、似ているかもしれませんが、言葉の裏の心情までは違ってくるのではないかと思います。
そう考えると、
今こうして文章を書いていることにも様々な価値を感じます。
おそらく、自分がこれから出会うことのない、今しか書けない文章を今書いているわけです。
それってなんかすごいことのように感じませんか?
日記とかを書いている人、ブログを書いている人、SNSをやっている人、小説を書いている人、たぶんみんな思ったことはあるのではないでしょうか。
「ちょっと前に書いた自分の文章を見て、これはほんとに自分が書いたやつなのか?」
「こんなこと書いたっけ?あー。でも、なんか言いたかったことはその時の記憶と結びついて覚えてるわ!」
みたいな感じで。
今しか書けないものがあるなら、今書こうかな?今書いたらどんなこと俺書くのかな?という楽しみも増えるってもんですね。
こうやって書くのにも時間を消費しているわけですし、消費してまで書く価値があるのか?と言われれば、どうなのだろうと思ってしまいます。
でも、「今しか書けない自分の文章ってどんなだろう。それを見てみたいな!」
と思うことで、モチベーションを保つことにもつながるのではないだろうか。
ブログを書くのを3日で終わらせてしまう君に送ろう。
「文章は、一期一会。」
(自分自身に言い聞かせるように。)
僕も今日は書かなくていいかな~って甘えちゃうときがあるので、せめて書きたいことが尽きるまでは継続していきたいな。と思います。
書くモチベーションが保てない人はとてもいると思います。
僕も前のブログ半年放置してましたからね。はは
火が消えて、もう一回つけるのって結構大変です。
だから、こういう風にポジティブに考えていけばもっと楽しくなるかな。と思いました。
実際今結構楽しいんですよね。
何も考えないで書いてるからかもしれませんが、
「この前書いた記事、見直してみよー」
と思って見直してみると、
「ほー。こんなこと書いたっけか?」
と思うことが多々あって自分で書いたのに見てて新しい発見とかもできるんですよね。
そういう自分にとっての楽しさを見つけられたらこっちのものですね!
好きこそものの上手なれ
好きになれば自然と手が伸びるってもんですよ!
なんか、
人間って現金なもので、自分に利益がないものにはあんまり興味を示さないと思うんですよね。(僕だけでしょうか?)
だから、物事が続かない場合は、
それをやること、得ることで自分が獲得できる利益は何か。
を考えると続けやすいかもですね。
書いていて思ったのですが、徒然草の冒頭を思い出しました。
原文
つれづれなるままに、日暮らし、硯にむかひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。
現代語訳(口語訳)
することもなく手持ちぶさたなのにまかせて、一日中、硯に向かって、心の中に浮かんでは消えていくとりとめもないことを、あてもなく書きつけていると、(思わず熱中して)異常なほど、狂ったような気持ちになるものだ。
引用元:http://manapedia.jp/text/4012
今まさに、 心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくっているな。
と思いましたね!
今日の僕が書けることはこれくらいです。
明日の僕だったらどんなことを書くのでしょう。
興味は尽きませんが、今回はこんな感じです。
それでは、また!