僕が菩薩といわれてるという話
どうも、菩薩朋也です。
どうやら僕は菩薩だったようです。
事の始まりは、大学の先輩に、
「ほんと、朋也君って菩薩だよねー」
「朋也君がいるとなごみ度が100%アップだよ~」
と言われたことが始まりです。
天然ともいわれたので自分としては、なんだかなぁーって感じですね。
そんなことはないよな?と自分では思っているんですけど、自分じゃわかんないのが辛いとこです。
ところで、天然で思い出したのですが、
「あなたは天然って言われてうれしいですか?」みたいな質問があって、
当時の僕は
「天然ってなんだ?自然っぽいから草タイプの事かな?じゃあうれしいわ!キモリきゃもぉぉぉぉんぬ!!!」
と思っていました。
なぜかアチャモが選択された気がします。
ちなみに菩薩は悟りを開くために頑張っている途中の人です!(ざっくり)
そして仏は、悟りを開いたすごい人です!!(ざっくり)
そんなわけで、
僕はどうやら菩薩のようです。
まあ、悟りを開く開かないとかそういうことで菩薩って言われたわけではないんですけどね。
僕なんで雑念&煩悩の塊ですよ!
お金ッ!
ぐだ寝ッ!
お金ッ!!
昼寝ッ!
ふぅ何もしたくないぜー!
生きるのに十分なお金があって、面白いことだけして生きてーな!!
もういっそのこと、チート能力もって異世界転生してぇなぁ!!!
・・・悟りは開けそうにありません。
まあ、先輩は単純に温厚な雰囲気、優しい!という事で菩薩と思ったそうです。
僕自身、そんなに優しいか?と疑問に思うのですが、自分の評価と他人の評価は違うんだな。という事を実感しました。
余談ですが、就活なんかで自己分析をするときは他人に自分の印象を聴くのがいいらしいですよ!それも自分を嫌っていそうな人に!
その方が素直な意見を聴けるそうです。大学の先生が言うんだから間違いねぇ!はずです!
余談終わり!
僕は怒らない
まあ、確かに僕自身怒ったりしないので、そういう風に思われるかー。
と思ったわけです。
思い返してみれば、僕は小学校ぐらいの頃から人に対して本気で怒ったことがないなと思いました。
なので、僕がなんで怒らないのかっていうことを考えて書いてみたいと思います。
子どもの頃の話
僕の家庭の話からしましょうか。
僕は両親と4歳離れた姉との4人家族です。
子どものころから、僕は怠け者で、やる気になったことにしかやなないようなやつでした。
そんな僕は、勉強もほとんどしないで外で遊んだりしていました。それに、家でも調子に乗ってはっちゃけ過ぎて頻繁に怒られるようなやつでした。
姉とはよくケンカもしていました。
ケンカというか一方的に僕がやられていただけですけどね。ははは
小学校くらいだと、4歳離れている姉には勝てなかったんですよね。
胸倉つかまれて服が破れたり、蹴りをくらって頭からガラスに突っ込んで割ったのも今となってはいい思い出ですね。
そんなこんなで、怒られるとかそういうことばっかりしてきたので、たぶん自分も怒られるのが嫌だったから自分も怒るのはやめようとかそんな感じに思っていたのかもしれませんね。
あと、僕がませた子どもだったので、周りに対して
「ふっお前らとは考えが違うのだよ」とでも思っていたのでしょうか。
同い年の子よりも大人と話すことが好きでしたね。
別に年上好きというわけではないのですけどね。
なんだかんだ今まで昔の思い出を書いてきましたが、これあんま関係ないかもですね。
ここまで書いといてなんですが。はっはっは!
思考垂れ流しの雑談日記みたいなものなので、勘弁してくだせぇ。
人を怒るのはズルい?
今になって思うのは、他人に対して怒るのってなんか醜いなぁと思うからかもしれません。
その理由として、人が怒るのって相手が自分より下の立場になったらだと思うんですよね。
対等な立場や、目上の人に対するときはイラつくことはあっても基本的には怒るという事は理性的に抑えていると思います。
ですが、相手が自分に対して粗相をしたとなれば、相手は自分に謝らなくてはいけないとなり、必然的に自分の立場が上になってしまいます。
その結果として、粗相をした人に対して怒るという事が発生すると考えられます。
つまり、
「しめた!相手が自分より下になったぜ!ひゃっはー!!あいつのメンタル刈りつくしてやるぜぇ!!」
と世紀末野郎になってしまうんですね。くわばらくわばら。
この関係性で起こる、「怒る」というのが僕は醜いなぁ、嫌だなぁと思うわけです。
だって、下の立場を自分に置き換えてもみてください。
~適当物語『怒られる新人君』~
僕は1週間前に居酒屋でバイト始めたんだ!
良しこれから仕事覚えて頑張るぞー!
ああワクワクするぜ!武者震いか?手が震えるぜ!
お?注文か!初仕事だ!
気合入れていくぜ!
「お待たせいたしました!!、生になります!」
その時、気張りすぎたのか手の中のジョッキのバランスが崩れてしまった。
「...あっ!」
運の悪いことに、バランスが崩れたジョッキはそのまま重力に従って倒れてしまった。
だが、彼の不運はこれでは終わらなかった。
こぼれた炭酸麦茶はそのまま机から滝のようにお客さんの股間に!
正にWaterfall in the 股間!!
(どどど、どうしよう)
(自分はミスをしてしまった!非常に申し訳ない!誠心誠意謝ろう。)
「申し訳ございませんでした。」
その時、雷が落ちた!!
客「ばっっかもぉぉぉぉぉぉん!!!」
「も、申し訳ございません!」
「この店の教育はどうなっているんだ!こんなこともできんのか貴様は!!」
「申し訳ございませぇぇぇん!!」
~終~
こんな風にですね、謝ってくれているのに自分勝手に怒られてしまうともうどうしよもないですよね。(話が超適当なのはご愛敬)
初めは次からは気を付けようと素直に思っていても、
そんなに怒られてしまうと逆になんでこんなに怒られなきゃいけないんだ!と反骨精神に火がついて逆に論争がヒートアップしてしまうかもしれません。
そう考えたら、素直に「大丈夫ですよ!」と言っておくほうがお互いに気持ちよく対応できると僕は思います。
ちなみに実体験です。かけられたほうですけどね。
その時は「あっ大丈夫ですよ!そんなときもあります!気にしないですださい!」
と、なるべく穏便に済ませました。
こぼしたものはしょうがないですし、替えのものをどちらにしても持ってきてくれるのでどうせだったら気持ちよく居たいので無駄な争いはしないに越したことはないですね。好きでもないですしね。
もちろん怒ることが悪いという事ではないです。
ただ、種類が違いますね。
相手を想って諭すように怒るのと、ただ感情的に怒るのとでは全く違いますもんね。
どっちにタイプにも怒られたことがありますが、諭すように怒ってくれるのは、その当時は「なんだよ!」と反発をしてしまう気持ちでしたが、今となっては、
「ああ、自分のことを考えてくれていたんだなぁ」
としみじみと感謝しています。
感情的なタイプは、今でもなんであの時あんな怒られたんだ?と不快な気分なことに変わりはないですね。
だから、醜いと思われる怒り方ではなく、相手のことを思いやった行動をしていれば自然といい対応、関係を築いていけるんじゃないかなと思います。
最後に
僕自身こういう考え方なもんで、無駄な争いはしたくないし、精神的なコストも払いたくありません。だから、菩薩と呼ばれるような変な奴になったんでしょう。
そういえば、「あんたは神か!?」といわれるときもありましたね。まあ、今日あったことなんですが。
なんとなく書いてきましたが、思っていたより自分でこう考えていたんだなぁと発見することができたので、書いてよかったかな。と思いました。
あー、でもそうですね。無駄な争いはしないと言いましたが、もちろん無駄な争いでは無ければ本気でやり合いますよ!
例えば、そうですねー。
仲間内でハーゲンダッツ争奪戦争(トランプ)をやったときは、煽り、脅迫、実力行使などなど自分の持てる力を発揮して勝ちに行きます。
まー。人間なんてよくわかんないもんっすね。
そんな感じです。
それでは、また!